香りの本場フランス・ヴェルサイユにあるISIPCAへ、プロモツールのシニア調香師・渡辺武志氏が研修に赴きました。
4,000件以上の香りづくりを支援してきた同社の香り技術研究所 副所長に、現地で何を訓練し、日本の調香現場と何が違ったのかを聞きました。海外で学んだという事実そのものではなく、その学びによってお客様が受け取る価値がどう変わるのか——今回はその一点に絞っています。
目次
なぜいま、海外で学ぶことを選んだのか
——今回のISIPCAでの研修について教えてください。
渡辺:ヴェルサイユにあるISIPCAのアドバンスド調香コースです。約1週間の集中プログラムで、香料原料の理解、香りの構築方法、調香における評価の考え方など、世界のフレグランス業界で求められる視点を体系的に学びました。
——豊富な実務経験を持つなかで、改めて海外で学ぶことを選ばれた理由は何でしたか。
渡辺:これまで日本で空間芳香を中心に、開発だけでなく安全性評価、品質管理、製品化まで幅広く携わってきました。ただ、さらに成長するには経験だけに頼らず、世界で培われてきた考え方や評価基準を学ぶ必要があると感じていたんです。
いまは副所長として、研究所がどんな価値を提供するのか、次世代をどう育てるのかを考える機会が増えました。自分自身が学び続ける姿勢を持つことが、組織の成長にもつながると考えています。
「日本と海外で香りの感じ方は違う?」ISIPCAで気づかされた空間と文化の密接な関係
——現地で最初に「日本とは違う」と感じたのは、どのような場面でしたか。
渡辺:同じ香りでも、置かれる環境によって印象が変わるということでした。日本で空間芳香を設計するときは、湿度や住宅環境、空間の使われ方を踏まえてバランスを組み立てます。フランスは気候も建築も、香りとの付き合い方も違う。同じ香りが違って届くわけです。
実際、日本では甘さや重厚感を強く感じやすいアンバーやバニラのような素材が、現地ではとても自然に馴染んで感じられました。香料が変わったのではなく、環境や文化、生活背景によって香りの見え方が変化しているのだと思います。
——香りの「良し悪し」を判断する基準そのものは、日本とヨーロッパで違いましたか。
渡辺:基準そのものが大きく違うとは感じませんでした。コンセプトを香りで適切に表現できているか、全体のバランスが取れているか、素材がそれぞれの役割を果たしているか。この考え方は共通しています。違うのは、香りが使われる環境と文化のほうです。海外で評価されている香りを、そのまま日本へ持ち込めばよいわけではありません。
ISIPCAの訓練——「失敗から学ぶ」という教育
——現地では、どのような訓練や課題が課されるのでしょうか。
渡辺:テーマに沿った香りを自分で設計し、講師に評価していただく実践的な課題が中心でした。なぜその素材を選び、なぜそのバランスにしたのかを説明し、フィードバックを受けてブラッシュアップしていきます。
特に印象的だったのは、「失敗から学ぶ」というアプローチです。意図的にバランスを崩した処方を実際に嗅ぎ、どこに違和感があるのか、どの原料がその印象につながっているのかを分析して、自分で修正方法を考える。問題点を見つけて改善する力を養う学習方法でした。
——日本での修業時代と比べて、鍛えられ方に違いはありましたか。
渡辺:日本では素材の特性を学ぶことから始まり、有名香水の再現訓練など、基礎を徹底的に学びました。この経験がいまの技術の土台です。ISIPCAではその理解を前提に、コンセプトをどう香りで表現するか、課題を自ら見つけて改善できるかに重点が置かれていました。
この訓練を経て、帰国後は自分の処方も以前より客観的に見直すようになりました。なぜこの原料を選んだのか、なぜこのバランスなのかを整理して説明することも、いまはより意識しています。
天然か合成かではなく、目的に応じて組み合わせる
——原料の調達背景やサステナビリティ、安全基準は現地でどう扱われていましたか。
渡辺:香りの美しさだけでなく、安全性やサステナビリティも調香師が当然考慮すべき要素として捉えられていました。印象に残っているのは、講師が「天然精油が必ずしも最善とは限らない」という考え方を示されたことです。
天然精油は魅力的で複雑な香りを持つ一方、多数の成分から構成され、産地や収穫時期などによって成分組成が変動することがあります。一方、合成香料には化学的な構造や純度が明確なものが多く、使用量の管理や安全性評価、品質の安定化を行いやすいという特徴があります。目的に応じて合成香料を適切に活用することが、安全性と品質の確保につながるという考え方が紹介されていました。
大切なのは、天然か合成かという由来だけで安全性を判断することではありません。それぞれの特性を理解し、用途、使用環境、使用量まで考慮して最適に組み合わせることです。天然精油の豊かな魅力を生かしながら、必要に応じて合成香料で安全性や品質の安定性を補完する。この考え方には強く共感しました。
クライアントワークとB2C商品への還元
——ホテルや商業施設の空間演出、企業のオリジナルアロマ開発やB2C商品には、どう還元されていきますか。
渡辺:ご提案そのものが大きく変わるというより、設計の精度と提案の幅が広がったと感じています。「落ち着きのある空間にしたい」「ブランドイメージを香りで表現したい」——同じ言葉でも、お客様が思い描くイメージはそれぞれ違う。その意図を汲み取って香りとして具体化するのが調香師の役割です。
世界で用いられている表現も引き出しとして取り入れましたが、そのまま提案するのではなく、日本の空間環境やターゲットに合わせて最適化することが重要です。
アロマスプレーや香水、ハンドクリームなどのB2C商品でも、ブランドのコンセプトを一貫した香りとして表現するという考え方は変わりません。肌に付けるもの、空間に広げるものなど、製品ごとの使用場面を踏まえ、香りの美しさだけでなく、使い心地や安全性、品質の安定性まで含めて設計します。
次世代の育成と「開かれた研究所」
——次世代調香師の育成と、掲げてこられた「開かれた研究所」の構想に、今回の経験はどう反映されますか。
渡辺:改めて感じたのは、多くの香りを覚えることだけが育成ではないということです。あえて課題のある処方に触れ、どこに問題があるかを自分で考えて修正する経験を積めば、正解を覚えるだけでは身につかない応用力が育ちます。何を表現したかったのかを言葉で説明する力も、同じくらい重要ですね。
香りの世界は、一つの会社や一人の調香師だけで完結するものではありません。日本には繊細な感性や、空間との調和を大切にする強みがある。そこに海外の視点を組み合わせれば、新しい価値を生み出せるはずです。今後は得られた知見を社内に留めず、社外との交流を通じて共有できる研究所にしていきます。
日本の調香師が世界で評価されるために必要なことは?
——これから日本の調香師が世界を目指すうえで、何が必要になると考えていますか。
渡辺:技術力だけでなく、世界とつながるためのコミュニケーション力や、自分たちの価値を発信する力です。今回特に実感したのは英語力の重要性でした。香りそのものは世界共通の感覚で共有できますが、なぜその香りを作ったのかを伝えるには言葉が要ります。現地で不足を感じる場面があり、語学力も調香師の重要な能力の一つだと痛感しました。
一方で、海外の香りをそのまま追いかける必要はないとも感じています。現地では、和精油や日本文化を背景にした香りへの関心の高さを感じました。四季、自然、伝統文化。そこから生まれた独自の感性は、世界に対して大きな価値になる可能性があります。
——現地で印象に残っている出来事はありますか。
渡辺:フゼアという伝統的な香調を現代的に表現する課題がありました。歴史のあるスタイルにどんな新しい解釈を加えるかを考え、自分なりにモダンな表現を目指して制作したんです。
その香りを評価していただいた際、講師からいただいたのは思いがけない言葉でした。
「I’m really impressed. I don’t have anything to say.」(本当に感銘を受けました。もう何も言うことはありません)
意図した表現が、異なる文化背景を持つ方にもそのまま届いた瞬間でした。海外の考え方を学ぶことは、海外に合わせることではなく、自分が持つ表現を磨き、世界に伝わる形へ発展させることなのだと実感しました。
これから届けたい香り
——最後に、これからどのような香りを届けていきたいですか。
渡辺:改めて感じたのは、香りが単なる「良い匂い」ではなく、人の記憶や感情、空間の価値を高める力を持っているということです。日本には四季や自然、伝統文化など、世界に発信できる豊かな要素があります。和精油をはじめとする日本ならではの素材を大切にしながら、現代のライフスタイルに合った形で国内外のお客様に届けたいですね。
香りの導入を検討されている企業には、どんな体験を届けたいのかを最初に考えていただきたいです。流行や好みで選ぶのではなく、その場所の目的、ブランドの世界観、利用される方の感じ方まで考えて設計する。私たちは香りを装飾ではなく、ブランドの価値を伝えるコミュニケーションツールの一つとして捉えています。
プロモツールの香りづくりに関するご相談
プロモツールでは、ホテルや商業施設の空間演出から、企業・ブランドのオリジナルアロマ、香水、アロマスプレーなどの香り製品まで、目的や使用環境に応じた香りを設計しています。
ブランドの世界観を香りで表現したい企業・施設のご担当者様は、プロモツールまでご相談ください。
香りに関する様々な知見を発信しております調香師のアトリエもご覧ください。
渡辺武志(わたなべ・たけし)
プロモツール株式会社 香り技術研究所 副所長/シニア調香師。
世界最高の調香師教育機関であるISIPCA (France) SUMMER SCHOOL “ADVANCED PERFUMERY COMPOSITION” 修了。調香師養成機関を卒業後、プロモツールに入社。JALエグゼクティブラウンジ、飛鳥Ⅲ、万平ホテル、JRタワーホテル日航札幌、外資系ラグジュアリーブランドなど、数々の空間の香りによるブランディングを手がけている。
【インタビュー後記】
渡辺武志氏の話から見えてきたのは、「世界基準を学ぶこと」と「日本のお客様に最適化すること」は対立しないという視点でした。同じ香りでも環境が変われば印象が変わる。だからこそ、世界で通用する設計の考え方を、日本の気候や文化に翻訳する工程が要るのだと理解できました。
印象的だったのは、「天然か合成か」という二者択一を取らない姿勢です。それぞれの特性を理解し、安全性と品質のために組み合わせを選ぶ。プロモツールが大切にしてきた「質と安全性の両立」が、世界の調香教育とも通じる価値観であることが分かりました。
今回の取材を通じて、香りをつくることは、単に良い匂いを生み出すことではなく、文化や環境、安全性、ブランドの世界観まで含めて設計することなのだと理解しました。
【インタビュアー】
山尾 陽飛(やまお はると)
プロモツール株式会社 マーケティング部インターン(京都大学 総合人間学部)。オウンドメディア「調香師のアトリエ」の企画・取材・執筆を担当。



